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イスラエルに行ってきました。(前編)

2010/12/26

遅く取れた夏休みを使って、2010年の11/1~11/4の4日間イスラエルへ行ってきました。とても魅力的な場所でした。思い出として大切に残しておきたいので、ここに旅行記としてまとめてみます。

旅に出た理由と、イスラエルを選んだ理由

旅に出た理由について、いろいろな説明を考えてみたのですが、どれも的確に表現できるものではなかったので、詳細には書かないことにします。ざっくり言うならそれは、日常から距離を置いて気分の切り替えをしたいという欲求とか、今年亡くなった父への想いからくる、衝動のようなものでした。

旅行先にイスラエルを選んだ理由は単純で、いろいろな海外の国を旅している友人にどの国が良かったかを尋ねて回ったら、イスラエルが一番良かったという回答が、複数の友人から得られたからです。

まあうんちくはいいよね。写真をがしがし使って旅の記録を書いていきます。
※注 iPhoneとか携帯からは重いと思うのでPCから見ることを強く推奨。あと、全部見るととても長いので時間のある時に読むことを推奨。
※特別良いことは書いてないです。超個人的な旅の記録なので、興味のない人は写真だけ見てみてください。ビデオだけ見ても面白いかも。
※丁寧語だと書くスピードが落ちるので、効率優先で口語体で書いていきます。

前編:ネゲブ砂漠を目指した、鉄道とバスの旅

イスラエル行きを決めてから、真っ先に考えたことは、砂漠を訪ねることでした。まだ一度も見たことがない、本格的な砂漠を見てみたくて、イスラエル最大の砂漠、ネゲブ砂漠を目指しました。

1日目の経路は、図中のピンク色の線。ネゲブ砂漠は、ピンク色が下の方まで伸びたあたりに書いてある「ミツペラモン」と書いてあるあたりにあります。1日目の総移動距離は大体500km。

ルートは空港(ベングリオン国際)→ベエル・シェヴァ(Be'er Sheva, イスラエルで4番目に大きい都市)→Dimona(マムシト国立公園(Mamshit National Park)→ベエル・シェヴァ→Mizpe Ramon(ラモーン・クレーターThe Ramon Cratorがある場所)→ベエル・シェヴァで宿泊というルート。

ベングリオン国際空港からの鉄道の旅

月曜日午前2時に着いたベングリオン国際空港がスタート地点。空港は超近代的な建物。建物が新しいだけじゃなくて、空港内は無料でWifiがつながる。

出国審査までの通路を歩くと、壁にいろいろなポスターが張ってあることに気づく。

パレスチナ人やアラブ諸国との問題を抱えながら、世界で初めて建国されたユダヤ人の国、イスラエル。空港の通路の壁には、そのユダヤ人への呼びかけが多数掲示されていた。

お帰りなさいというユダヤ人へのメッセージ。20世紀に入って初めて帰るべき国を得たユダヤ人にとって、このお帰りなさいがどれだけ大きな意味を持っていることだろう。そしてパレスチナの人は、何を思うのだろう。

入国審査への入り口。入り口の上には飾られていた画と壁の雰囲気とが、これまで来たことのない世界に足を踏み入れようとしていることを僕に教えてくれた

入国審査を華麗に終えて到着ロビーへ。入国審査は聞いていたよりもずっと簡単で、1時間かからなかった。日本人をはじめとする一部の人は入国審査後に別途職員から質問を受けたりしたしたけど、それでも合計30分くらいだったかな。

空港の到着ロビーで1時間くらい仮眠をとった後、電車のプラットフォームへ。午前6時の始発の電車で南へ向かう

普通運賃でも車内はゆったり。車社会のイスラエルでは電車は2次的な交通手段で、人もまばら

こういう列車を3本くらい乗り継いで行く

列車の窓が汚れていて、景色がくすんで見えた。けれど自分一人で初めて海外へ訪れた感動で、このとき見た景色は旅の中で一番印象に残ってる。汚れた窓でくすんだ朝日は柔らかかった。

映像だとわかりづらいけど、イスラエルの鉄道はディーゼル列車なので、日本の電車のように静かには動かない。かといって不快なノイズというわけではなくて、低い音でボボボボと言う、車で言えば2速から3速くらいのギアで進行しているような感じ。

窓の外を眺めながら、ローマ帝国も十字軍もオスマン朝もアレキサンダー大王も、みんなこの土地を目指したことに思いをはせたりした。そんな土地に居る感覚が不思議でしょうがなかった。

列車でひたすら南を目指す。工業地帯を過ぎて

農地も過ぎて

また別の列車に乗り換える。名づけてスニッカー号

スニッカー号の車内。綺麗で快適。繰り返すけど、普通運賃(数百円)の旅です。

まだまだ進む。砂漠地帯へ入っていく。

羊の群れもあり

砂漠で乗り捨てられた車なんかもあり。

結局電車には計2時間くらい乗車して、目的地Dimonaに到着。

激アツ!Mamshit国立公園!(気温的な意味で)

目的地の駅Dimonaに着いた後、駅にいたスタッフにタクシーの配送をお願いして、Mamshit国立公園まで移動。これはタクシーに乗ったときの映像。こっちのタクシーは運転が荒いと聞いてたのだけど、この運転手さんはそんなことなかった。

運転手さんに日本から来たって当てられたのには少し驚いた。サングラスしてたんだけど、服装や持ち物でわかったんだろうな。

マムシト国立公園(Mamshit National Park)到着。

Mamshitは、3世紀頃に香料街道(乳香や没薬といった香料の交易を行っていた交易路で、地中海とアラビア半島を結んでいた)で栄えた砂漠都市の遺跡。当時はナバテア人が最大で1000人くらいの規模で住んでいたそうで、イスラエルの遺跡の中では保存状態が大変良いことで有名(地球の歩き方調べ)。

月曜だったためか観光客が僕と他に二人だけだったのはとても気分が良かったのだけど、入り口で配ってるガイドマップがヘブライ語のみの提供だったことには泣きそうになった。

当時の高級住居の遺跡。アーチになっている部分の上には元々、2階建て部分が存在していたと考えられている。

看板に書いてあった説明を読んでその内容をビデオを撮影しながら説明しているんだけど、後で見てみたら何言ってるか全然聞こえないwなので、映像だけ見てもらえれば。

教会の遺跡。3世紀頃のものだから、日本で言えば法隆寺よりも古い遺跡といったところ。

教会の地面に絵が描かれていて、保存のために立ち入り禁止になってる。

教会のあたりをもっと見たい人はこの映像もどうぞ。

当時のプライベートバスである。こんな暑い地域なら風呂は重要だよねえ(しみじみ)。もっと大きな公衆浴場の遺跡も別にあった。

これが公衆浴場ですねー。これだとなんだかよくわからないけど

絵で書くと公衆浴場はこんな感じの全体像。写真の2番が脱衣所で、3番~6番が暖かい風呂とか、冷たい風呂とかに分かれてるんだって。

風呂はあまり大きくなくて、街の人全員が毎日入っていたとは考えにくいなーと思ってた。ビデオ見てもらえるとあまり大きくない感じは伝わるかなあ。

そんな感じでMamshit国立公園を2時間くらいかけて観た。2時間観ると、もう喉がカラカラで、1リットル持ってきた水もいつの間にか飲み干してた。

この後バスセンターに行くための足が必要だったので、受け付けの若いお姉さんに相談したらタクシーを呼んでもらえた。親切なお姉さんで、グレープジュースを出したりしてくれたりもした。炭酸抜け切ってた。ボスと別のスタッフと3人で運営してるんだって。

DimonaからBe'er Shevaへ向かうバスの中。バスの運転手さんの手元には小銭集計用の設備があって、バスの運転手さんは運転中に小銭の仕分けとかする。大変である。

とても刺激的なイスラエルのバスの旅と、ラモーン・クレーターの静けさ

Be'er Shevaのバスセンターに着いたので腹ごしらえ。ケバブが500円くらいで食べれる。

こんな店先で、自分の好きな野菜を選んで入れてもらえる。

腹ごしらえを終えて、自分が乗る次のバス亭へ向かう。

僕が乗る予定のバスに列をつくるイスラエル国防軍(IDF)の皆さん。最初見た時は何のことかわからなかったけど、次第に状況がつかめてきた。この国では国防軍の兵隊も、民間人が使うバスを普通に使うんですね。そして僕はこのバスに乗らないと次の目的地へ進めない。

というわけで、IDFの方々と一緒にバスに乗車。IDFの皆さん、超くつろぎモード。寝たりウォークマン聞いてくつろいだりしている。僕はといえば、席が空いていなかったので、通路に座って移動(他の兵隊さんも何人か通路に座ってた)。この時の一言メモ帳には、「僕は今眠いけど眠くないです」って書いてあって意味不明w

自動小銃を装備した兵士と一緒にバスの通路に座ったことは、一生忘れないと思う。皆さん若い兵隊さんだったよ。多分、徴兵制の兵役期間中の若者たちだったんだと思う。この時のメモ帳には、「平和な日本から来たアラサーのオッサンが何やってんだろう」とも書いてある。

休憩所で一息入れたりしながら、バスは走っていったよ。砂漠の真ん中をバスが走っている、その車中で兵隊さんが携帯で話をしている様子は、なんとも奇妙だった。そんな違和感ばかりを目の当たりにして、もうそれが当たり前に思えてきた頃だった。

バスに揺られて2時間。バス停に着いた後後少し道に迷って、道を歩いていた人(Tel Avivから来たイスラエル人や現地に住む日本人!)に道を聞きながら、念願のThe Ramon Cratorに到着。

The Ramon Cratorお目見え!

ラモーン・クレーターは、ネゲブ砂漠最大のクレーターで、長さが40km、幅9km。写真では伝わらないと思うけど、11月なのに相当な暑さ(最高気温28度)。

ものすごく静かで、風の音しか聞こえない。けれど、ひとたび訓練中の戦闘用ジェット機が飛ぶと、クレーター内の壁に反響して、クレーター内に轟音が響き渡る。そんな土地。

IDFの兵隊さんも休憩する昼下がり。この後訪ねる予定だったRamon Visitor's Center(ラモーン・ビジターセンター)がリニューアルのために2010年8月から休館していたので時間ができてしまい、別の場所で時間つぶし。

近くにある小さい動物園(Bio Ramon)に寄ってみた。案内人のオーエン君からいろいろと砂漠の生物について教えてもらった。砂漠に亀が生息しているっていう話は驚いたな。

動物園を出て、Be'er Shevaに戻るバスを待つためにバス停へ。直後に1本バスがやってきたのだけど、バス停で座ってたら無視された。そうなのです、イスラエルでバスに乗るためには、明確に乗るための意思表示をしなければ無視されてしまうのです。

これで学んだ僕は、バスが来たら立ち上がって手を振って必死に意志表示しましたね。それ以降は無視されることはなくなりました。

そんなこともありながら、帰りのバス(Be'er Sheva行き)に乗る。

このビデオは、今回の旅の中で一番印象に残っている風景の一つ。

何でもない、全く何でもないバス車内の風景なんだけど。このビデオには撮影できなかったけど、実は僕の周りには珍しそうに僕を凝視する小さい子供がいたりしてる。日本人が珍しいのか、バックパッカーが珍しいのか、多分その両方だったんじゃないかな。

他にも、別れを惜しんで抱き合ってキスしてる若い兵隊のカップルがいたり。バスの中で携帯をひたすらいじる、仕事を終えた警備員の男性がいたりだとか。日本では嗅いだことのない香水の香りや、バス内で電話している人の多さにも驚いたな。

ただひたすら何もない砂漠の地を駆け抜けるだけだと思ってたバスの旅が、意外にも見知らぬ土地の様々な文化の人との出会いに満ちたものだったことが、今回の旅の中で一番嬉しい誤算でした。

1日目のバス乗車時間は合計9時間!そんなバス乗車を終えて、宿泊地に到着。

一泊5000円の宿。これでも安い方。イスラエル、物価は安くないです。テレビつけたけど、ヘブライ語のようで何言ってるか全然わからなかったな。

昼に続き、夜メシまでケバブ。不覚。。泊まった宿がバスセンターから遠い場所にあって、近くに良いご飯屋さんがなかったのが悔やまれる・・

2日目。マサダ遺跡もやっぱり激アツ!(気温的な意味で)

2日目は、図中の緑色の線。総移動距離は約150km。

マサダ遺跡を訪れたいと思ったのは、地球の歩き方を読んでいて「AD70年にローマ軍に追い詰められた最後のユダヤ人が篭城した場所」として紹介されていたのがきっかけ。マサダ遺跡の後は、ユダヤ・イスラム・キリストの3つの宗教の聖地である今回の旅の目玉、エルサレムへ向かいます。

午前5時過ぎに起床。6時の始発のバスに乗るので、薄暗いうちに出発

朝のBe'er Shevaのバスセンター。予想に反して店も既にいくつかオープンしていた。イスラエルの朝は早い。

マサダ遺跡へ向かうバス。2時間の旅。

バスの旅、不思議と全然飽きない。というより、このバスの中でずっと砂漠の景色を眺めている時間が大好きだった。

バスの運転手さんが気を利かせてくれて、マサダ遺跡の管理スタッフ専用のバスに乗り継がせてくれた。写真はスタッフ用バスから遺跡が見えてきたときの眺め。遺跡の頂まで続く道の感じが、FF(ファイナルファンタジー)っぽくて好き。

車内はスタッフの会話でめちゃくちゃ賑やかだった。「これ、ウチの孫の写真なんだけど」「かわいいーーー!!」みたいな感じ。僕が乗ってきたら興味津々に「どこ行くの?」とか「何でこのバスに?」とかいろいろ聞いてくれて、少し会話した。

遺跡の入り口に到着。マサダ遺跡のスタッフの方々がとても親切で、バスの中では僕が間違ってマサダ遺跡の手前の停留所で降りようとしてたことを教えてくれたり、施設についてからも施設開場前なのに施設に入れてくれたり、色々と気にかけてくれた。(というわけで、この記事を読んだ人の中でもしマサダ遺跡に実際に行く人がいたら、スタッフの皆さんによろしく!愉快な良い人たちばかりです)

開場準備中のマサダ遺跡内施設の様子。

開場後、早速ロープウェーで地上400mの標高の地に築かれたマサダ遺跡へ。ロープウェー乗車時間は3~5分くらいで、すぐに着きます。

マサダ要塞からの眺め。奥に見える湖は死海。この標高400メートルの土地に要塞が作られたのは紀元前100年頃。その後AD70年頃にローマ軍から追い立てられたユダヤ人が3年間近く篭城していた。

1日目のMamshit国立公園と違うところは、貯蔵庫の大きさと貯水システムの見事さ。篭城を前提に作られていた要塞のようで、この要塞のシステムがあったから数年間も篭城することができた。

見晴らしのよい場所からマサダ遺跡の一部と周囲の環境を撮影してみた。こんなところで数年間の篭城戦をするとか、想像を超えてます。

この要塞の見所は、このこんもりと盛り上がった山。AD70年頃にローマ軍がこの要塞を攻める際に盛り上げて作った山で、

こんな感じで盛り上げた山の上に木製の突撃台を置いて攻撃したんだって。ない足場を自分で作って攻めるローマ人強すぎ。当時のローマ帝国の勢いを感じさせるエピソード。

マサダ要塞には結局2時間くらい居て、退散。行きにロープウェーで登った道を、徒歩で下ってみることに。後から考えてみればこれが原因で、午後エルサレムに着いてからスタミナ切れを起こすことになる。

下山道で挨拶したイスラエル人の観光客。真ん中の彼の母親は仕事で日本に行ったりしてるんだって。

若者は元気に上っていたけど、ご年配には登山が大変そうだった。下山中に挨拶を交わしたアメリカから来た観光客の夫妻に「あとどれくらいで頂上に着く?」って聞かれて「すぐですよ~、10秒くらい(笑)」って答えたら全然笑ってくれなかったのは、自分が悪かった。

そんなこともありながら、延々と下ったよ。40分くらいで着いた。その後併設されている博物館にも立ち寄って、当時のマサダ要塞で使われていた器具・武具や衣装なんかを見て要塞で暮らすイメージを膨らませて、観光終わり。

エルサレム行きのバス停。イスラエルのバス停には日除けのための屋根が必ず設置されている。

バックパック一つで旅をしていて、見た目に観光客だってわかる格好をしていたからか、バスにやってきた人の反応は総じて親切だった。ここでもEin Bokekに行くっていう2人組みの女性が、エルサレム行きのバスが何番かを教えてくれて、バスの運転手さんに聞いたりもしてくれた。みんなそんなに優しいのは、それが普通なのか、僕が会った人がたまたま優しいだけなのか。日本でバックパッカーの人がいたら、こんなに優しくされるだろうか。

マサダからエルサレム行きのバスからの眺め。別に、特別なものは映ってないです。ただただ僕はこの眺めをずっと見てたし、この旅の中でそれがすごく癒された時間だったので、ひたすら撮影してました。

そして、バスに揺られること2時間。エルサレムバスセンターに到着。

後編に続きます。

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