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落語論 / 堀井憲一郎

2010/02/14

誰かが紹介している記事をネットで読んで、興味を持ったので読んでみた。
落語評論家である著者が、落語について語ってくれる。

落語って行ったことがない人が多いと思うし、よく知らない人が多いと思う。
僕も大阪で1回だけ行ったことがあるだけのど素人。
そんなど素人が、読んでみて、その世界に引き込まれた。

本の前半ではこんな論が展開される。

花火と一緒なんだそうだ。ビデオに撮った花火はつまらない。映像の中に花火は存在しない。それと同じで、落語はライブで聞かないと意味がないものだという。

落語はライブの中にしか存在しないから、「正しい原文」も存在しない。百年を超えて語り継がれている落語は、言葉が少々違っていても、ストーリーがまったく違っていても、結末を完全に変えられても、そんなことでは揺るがない、という。

落語はライブにしか意味がないから、客はタイトルを知らなくてもかまわない。客は演者は選べるが、ネタは選べない。(タイトルはあるが、それは演者が話しを区別するための符牒でしかない)

こんな話がされた後で、一言著者がまとめる。

落語は体験である。身体で受け入れないと、感じることができない。
(中略)
落語側が主張すべきなのは、落語の文学性ではなく、身体性なのだ。あらすじを知ったところで、どこへも行き着かない。(p36)

どうやら、落語とは頭を使って考えるものではないらしい。
この後、落語の本質により迫っていく。

ここまでが第1部「本質論」。

この後、第2部の「技術論」が続く。
ここでは落語の歌の「音」の部分について掘り下げて書いてある。
普段の会話の中にも活かせないかと思って注意深く読んだ。

特に印象に残ったのは次の部分。

落語の基本は、心地いい音を出すこと。心地いい音を出していると、音部分がまったく意識されず、観客はその言葉に集中できる。(中略)音をきちんと出せば、言葉が評価される、という図式である。(p92)

プレゼンの用語に置き換えると、デリバリーの技術の重要性。
「心地よい音の出し方」を考えるためだけにでも、落語に行って見る価値はあるように思えた。

覚えておきたくてピックアップしただけでこれだけの量のテクニックが記載されてる。
著者は本当に落語をよく観ている人だと感心させられる。年間400回以上観ているらしい。

3部「観客論」に入ると、落語の本質について総論が書かれる。

落語とは業の肯定。
つまり「落語が表現しているのは、人間のおこないのすべてである」ということだ。人のおこないを論評せずに引き受ける。それが落語である。おそろしく広い範囲を扱っている。人間すべてを引き受けてる。(p172)

まあ、ここまで来ると、正直「はぁ、そうですか、なるほどー」となる。
それで、このもやもやした感触をなんとかしたいと思って、今度落語に行ってみたいと思うようになる。

僕のような落語の素人が読んでみると、意外と良いかも知れない本。
変り種のビジネス書(プレゼン術的な本)として捉えて読んでみても面白いと思う。

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